
森山安英 解体と再生
地元の現代作家、森山安英回顧展を北九州市立美術館に見に行ってきました。当日は先生の講演会がありこれを機会に、直接先生のお目にかかることができました。とてもスレンダーでエネールギーを必要とする抽象絵画の大作を描かれるとは外見からは伺うことができませんでした。
講演では、先生のインタビューのドキメンタリー映画が上映され、その内容は当時若い頃に過激なポフォーマンスのような事をしていて、裁判沙汰になったという事です。裁判記録も会場に展示しています。(半世紀前位の出来事😅)。会場で言われた事は、パフォーマンスから絵画活動に戻ってしまったことに罪悪感を感じているみたいでしたが、なぜそうなのか疑問を感じました。確かに、その当時は学生運動とか、反権力闘争(万博反対など)が日本の各地で行われていて、若い頃の森山先生はその反体制芸術運動の渦中にのめり込んでいってしまったのは自然な発露ではないかと思います。その頃、ネオダダとか、当時、絵画を放棄したマルセル・デュシャン・ブームの影響などがあり、芸術至上主義を否定するような風潮もありましたからね。主義を曲げると日和主義(当時に流行った言葉です。)と言われ、非難されました。この気持ちは良く理解できます。ところで先生が絵画活動の戻ったことを贖罪していると言われたので、正直びっくりしました。パフォーマンスから絵画活動に戻ってしまったことに罪悪感を感じているみたいでしたが、なぜそうなのか?具体派の人たちも究極的には絵画に戻ってしまった人もいます。また、ピカソは何度もスタイルを変えていますね。なぜそうい気持ちになるのか考えてみると、日本の社会には属性みたいなものがあって、どこかに身を置き同じような活動をしないと、はじき出されるのが当時の現状だったと思います。今でも、日本には旧態依然として絵画団体みたいなものがあります。ちなみに画壇と言われています。ところで、長い沈黙の後、絵画活動を再開した先生ですが、アルミ顔料を使った絵画が現代都市のクールさの心象イメージが喚起され個人的には好きです。顔料もメタリックシルバーと蛍光塗料など人工的色彩はまさに都会的と言っても良いでしょう。最近は視覚体験を絵画に反映した作品を制作しているようです。非常にユニークな素晴らしい芸術家です。面白いことに、先生は北九州市立美術館は自分にとって天敵のような関係だと言われました。😄展示会場の入り口に飾られているポスターは福岡市美術館に収蔵されていることからでもその関係がよくわかります。補足ですが、写実具象の絵画もあり、広島被爆者の身につけて衣服の写真集(石内 都)に触発喚起され、それを大きなキャンバスに描いているのも良い作品だと思いました。コピーではなく、リアリズムの精神性のある作品となっています。
7月1日(日)まで開かれています。 appendix 映画のタイトル「MORIYAMA 集団蜘蛛・森山安英インタビュー」2007 インタビューアー 宮川敬一 氏(Gallery SOAP)


